「善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか」 から学ぶ正しい判断力のつけかた

善人と悪人、私たちはたびたび
その言葉を耳にします。
善悪の判断は、社会生活の中でとても
大切ですよね。

 

幼少期から私たちは、
親に教えられてきました。
善と悪、その区別ははっきりと
していなければなりません。

 

社会生活を営む上では、法に触れる
ことをすれば当然、罰せられます。
そう、悪を行うということになります。

 

でも、日常生活の中で実はものすごく迷惑な
善意はあふれているような気がします。

 

自分が良かれと思ってしていることが
実は、相手にとっていい迷惑に
なっていることに気が付かない厄介な
善意というものもありますよね。

 

そんなことを考えていたときにタイトルが
とても気になったこちらの本を
読んでみました。

 

エッセイですが、「救心録」という
サブタイトルにも惹かれましたので
少しだけ紹介させてくださいね。

 

善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか
著者 曽野綾子

この本の冒頭にはまず善意の人々は、
自分の好み、自分の思想が正しいのだから、
それは世間にとってもいいことだ、
と疑ったこともない。

 

たとえ正しいことでも世間では、
その正しさが相手を苦しめることも
あるなどとは夢想だにしないのである、
と明記しています。

 

いわゆる犯罪は、悪意や増悪ですが、
善意もまた時には油断がならないと・・・。
どういうことでしょうか?

 

私たちは、いつの間にか、親切な
人間がいいと考えるようになったと
作者は語っています。

 

他人が困っているのを見捨てるよりは
救うほうが美しいに決まっているからです。

 

しかし、善意だけあればいいというのは、
大きな間違いであって、善意の半分くらいは
迷惑をかけるのですと、書かれています。
すぐに他人に同情して、手を貸す。

 

そのこと自体はわるいことではないけれど、
ことの本質を少しもはっきりせずに
してしまうと、相手のためにならないことも
多いということを作者は伝えています。

 

たとえば歩くためのリハビリを
頑張っている人を歩かせず、すべて
やってしまったら、当事者はいつまでも
歩けるようになりませんよね。

 

時として善意は恐ろしいと語られています。
悪意は拒否できるが、善意は拒否する理由が
ないからということです。

 

また、善意は自分自身も縛ってしまう
ことがあります。お金を貸した友人が、
借りたことを忘れていた。

 

返してねと言えずにいる自分がいて
その友人は大切な存在だったにも拘わらず、
相手にかすかな恨みを持ってしまった。

 

そんな自分が悲しかった。
わずかなお金のことで、
自分がいやな人間に思えてしまった。

 

と、このようなエピソードも
書かれていました。苦悩についても作者が
言及していることがあります。

 

苦悩は、人間にとって大切な要素である。
苦悩のない人間は、人間性を失う。
人間に不幸がなければ、
その人は人間にならないのである。

 

人間はこのような宿命的な
人間関係に苦しみつづけるほかない。
生きるためには、裏表が必要である。

 

対立する自分と他人が両方ともに生き残る
ためには、妥協の道しかない。
多くの場合、相手は変わらない。

 

このように書かれていましたので、
善意はとても難しいことがわかります。

 

単純に、「良かれと思って」する
行為というより、
それ自体が本当によいことだからです。

 

だからこそ、自分と他人を
理解することが必要ですね。

 

しかし自分にもわかりにくい
自分の本当の姿を、
他人がわかることは難しいし、
自分自身も他人を本当はわからないのです。

 

わからないまま善意を行うと、
相手にとっては悪意となりうるので
難しいということです。

 

人間というものは、
自分を理解もしてもらえないけれど
他人も正当に理解は出来ないことを
知っておくべきですね。

 

相手を理解していないという
自覚さえ持てれば、善意も行うべきか
しないほうがよいのかの
判断も付くというものです。

 

シンプルパフォーマンスセラピーでは
1日3分のセルフケアで
そんな判断力もつけることが出来、
目の前の状況を冷静に見ることが
出来るようになります。

 

自分にとって何が正しいのかどう判断したら
よいのか、いつでもベストな選択が
出来るようになるのです。

 

そのためにもオンライン体験会で
シンプルパフォーマンスセラピーを
実践してみてくださいね。

 

【執筆者:小林由利】

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