優しすぎる父親に甘えて育った子供時代
私の父は、とにかく誰に対しても優しく、
争いごとをしない穏やかな人でした。
3歳年上の兄がいますが、
私は父が38歳、母が28歳で生れ、
今では珍しくはないけど、
当時としては両親の歳が離れていて、
父が高齢の親でした。
小学校時代は、活発で勝気、
男子と喧嘩をするようなおてんばだったので
実は言いたいことが言えないのに、
周囲にはそう見えない、見た目と心に
ギャップのある子どもだったと思います。
私がやったことじゃなくても、
先生が「やりそう」だからという理由で
私のせいになり、それを弁解できずに
怒られたという経験もいくつかありました。
右手をぶつけると
左手もぶつけないといられない、
右を向いて寝るか、左を向いて寝るかを
気にして眠れない、
歩いていて、右足で石を踏むと、
左足でも踏まないと何となく気になる
さっき、道にいた人は 具合悪そうだった、
大丈夫なのかな、などが気になる、
そんな神経質なところがあるのに、
誰の目にも気の強い、
何も気にしない元気な子に
見えていたと思います。
そして、小学校4年生のときに、
友達に誘われ、教会に通うようになり、
自己犠牲精神を学びます。
両親はクリスチャンではありませんが、
ずっと母に言われていた
「自分がされて嫌なことは
人にしてはいけない」の教えと、
キリスト教の自己犠牲の精神が一緒になり
私がしてもらって嬉しいことは、
きっとみんなしてほしいはずだ、
と思い込みます。
そして頼まれもしないのに、
余計なことをする子になっていきました。
そんな私でしたが、私は物心ついたときから
父親に怒られたという記憶がありません。
父は、私にだけではなく、
誰に対しても怒ったり声を荒げたりしない
とても優しい人でした。
一般中流家庭で、裕福ではありませんでしたが
家族みんな仲が良く、
楽しい子供時代を過ごせたので、
自分の見た目と心のギャップに
気づかずにいたと思います。
やりたいことはそのうち出来ると楽天的に考えすぎて月日が流れた
そして、大学進学のときに、
動物好きだった私は獣医になりたいから、
獣医学部に行きたいと
当然、出来ると思っていた
自分のやりたいことを母親に言いました。
ところが!!
当時、3歳年上の兄が、
私立中学、高校、大学と通っていて、
兄にお金をつぎ込んでいたので
私は、短大で我慢するように言われました。
母の考えは、
オトコは将来女房子供を養っていくから、
学歴が大事、
女の子は 短大でいい、でした。
父は、お金の管理はすべて母任せ、
争わない人なので、何も言ってくれません。
まだ10代だった私は、
それに従わない選択肢はなく、
どうせ短大なら何か免許や資格を
取っておこうと考え
幼稚園教諭免許と保育士資格、
両方取れるってお得!と
幼児教育科のある短大へ進学。
特に子供が好きとか、なりたかった職業
だったわけではなかったので、
この時は、幼稚園教諭を長くやるなんて
思ってもいませんでした。
ぬるま湯のような子供時代を過ごした私は、
やりたいことはそのうち出来るから
とりあえず今はこれでいい、
と頑張らない人だったのです。
そして私のスローライフが始まります。
就職して、少ないながらも
給料がもらえるようになり、
ちょっと自由になるお金
車とバイクの免許を取ると
自分の行きたいところへ
どんどん行ける楽しさにハマりました。
休日はツーリング、大自然に触れられる、
バイク仲間もたくさん出来て、
幼稚園勤務も自分の趣味を楽しむための
ビジネスだと考えるようになり、
嫌なことも感じずに、遊ぶために仕事をする
でも、
結局仕事に影響のないようにするために、
出来ることの範囲は決まっていて
あきらめなければならないことも
たくさんありました。
それでも心地よいぬるま湯生活に満足して
もっと大きなやりたいことは、
そのうち出来る、
今じゃなくてもいいと、楽天的に考えていて
いつの間にか、
10年、20年と過ぎていきます。
本当の自分は誰にもわかってもらえない
今が困っていなければ、
状況を無理に変える必要もないと
思っていた私はずっと同じ職場にいました。
プライベートが充実しているから
何があっても全く気にしない。
経験を重ねていくうちに、
余裕が出てきて
自分が過去に困ったことや嫌だったことを
後輩たちにはさせないようにと、
気を遣う人になりました。
ここで、子ども時代の自己犠牲精神が
顔を出し始めます。
私が我慢すれば、丸く収まる、
私が言ってあげれば、この人が助かる
私がやってあげれば、
みんなが楽しく仕事ができる。
そんな風に考え、なんでもテキパキと
先回りしてやり、
言えない後輩のために代弁し、
出来ない人のために、
仕事をこなしていたら・・・。
いつの間にかなんでも勝手にやってしまう、
手を出すと怒られそう、
いつも仕切っている強い女性
周りの目にはそういう私が
出来上がっていきます。
自分が困っても、困ったとは言えない、
本当はやりたくないのに 言えない、
人の仕事まで引き受けて完璧にやるために
自分の時間を犠牲にする、それを隠す
本当の私は、一人が好きで、
静かなところが好きで、
実は人見知りで涙もろくて、
人に気ばっかり遣っている、
誰も本当の私を知らない。
だからといって、当時の私は
それが苦にはなっていなかったのです。
そういうワタシというイメージを
みんなが持っているなら、それを崩すのも
気が引ける、とまで思っていたからです。
誤解されるのは自分のせいかも?シンプルパフォーマンスセラピーとの出会い
そんなときに事件が起きます。
日本にもコロナウイルス感染症が流行、
緊急事態宣言が発令され
幼稚園は、3月後半から5月まで、休園、
仕事も自宅研修となりました。
それを補うために暑い7月は、
夏休み返上で毎日仕事をしていました。
コロナの影響で、消毒、手洗い、マスク、
その中でのプール指導、
いろいろ気を遣うことが増え、
若い先生たちの心も身体も
疲れていきました。
そして体調を崩す人、立て続けに
祖父母が亡くなって休む人、など
混乱する状態が起こります。
当然、私は休んだ先生の代わりに
駆け回ってその人の分まで仕事をし、
皆の為に働き、保護者にも気を遣い、
休んだ先生が悪く思われないように
フォローも欠かしませんでした。
ところが、コロナ禍で辟易していた
若い先生たちの心は私が思っていたより
かなり傷ついていたのです。
どこでどう流れたウワサなのか
わかりませんが、
「あの人は本当に具合悪いのかしら?」
「仮病じゃないの?」
「そんなに立て続けに葬儀なんて
ウソじゃないの?」と
私が言っていると上司から伝えられます。
全く身に覚えもない、青天の霹靂状態、
ただただ唖然とするばかりでした。
人格否定された気分でした。
そんなことを言う人じゃないと
上司にも思ってもらえない自分に対しても
腹立たしくなりました。
どんな心理で、そう感じてしまうのか、
どうして、私は誤解されたのか
本当にそう思っているのか、
それとも、誰かが私を悪者にしたくて
ウソを言ったのか
そんなことがあって、私は人の心を
もっと学んだほうがいいのかもしれないと
思うようになりました。
そこで、私はメンタルカウンセリングの
勉強をしようと思い、ありとあらゆる
資料を取り寄せます。
でも、
カウンセリングを学んだからといって、
人は変われるのだろうか、と
だって、私、今までだって、
メンタルカウンセリングの勉強をしたり
よいリーダーになるには、などという
タイトルの講演会やセミナーにも
行ってみたじゃない。
それで、みんなの心を動かせたのか?
じゃあ何をどうすればよいのだろうかと
模索していたところ
シンプルパフォーマンスセラピー
に出会います。
本当は臆病な人生だったと気づいた瞬間
まず、目を引いたのは、
「女性の起業」についてです。
長いこと組織の中で働いていた私は、
自分で自分の好きなことを仕事にして
生きていけるっていいな~と思い、
セラピーよりそちらを優先した気持ちで
体験会に申し込みます。
チェックシートをチェックするときに、
ポジティブ脳だと思い込んでいる私は
「まぁ強いて言えばこれかな」という
気持ちで付けたので、
あまり気にしていませんでした。
ところが、実際セラピーを受けてみると、
小さなことにイライラしたり
細かいことを気にしている自分が
一度浮き彫りになり、それがスーッと
沈んでいく、不思議な感覚になりました。
そうか、私は自分で自分を
わかっていなかったんだ、
本当の自分を誰もわかってくれないと
思っていたけれど、私自身が、
わかっていなかったんだと気づきました。
シンプルパフォーマンスセラピーで
心を整えて、思い込みを爆破していくうちに
今まで、やりたいことをいっぱいやってきた
アクティブ人生、そう思っていた私ですが、
休みが取れないから、
海外のオートバイの大会はいけない、
お金がないから、これは買えない、
この日は仕事でここへはいけない、
これはあきらめる
だからといって今の仕事を辞めて、
他の仕事をする勇気もない、と、
意外と冒険もなく、頑張らない、
人生だったなと初めて気づきました。
他人が評価していた私を、
そうじゃないのに、と言っていたのが、
実は自分でもそう思い込んでいたと
わかってきました。
本当の自分は、小さなことを気にする、
些細な事でイライラする
臆病なので、答えがわかっている
冒険しかできない。
良かれと思い、相手を思ってやったことが
裏目に出て相手を知らずに傷つけてしまう。
そのことを実は気にしている。
そうだそうだ、
本当の自分はそうだったじゃないか
心にブレーキをかけていた
弱い人間だったじゃないか
なのに、周りの私の人物像「強い女性」と
自分自身で思い込んでいたんだ。
そのことに
シンプルパフォーマンスセラピーに出会って
気づきました。
夢を叶えたいなら、アクションを起こそう!
シンプルパフォーマンスセラピーに
出会ったことで、夢を思い出しました。
今になって、いまさらなんで?
以前の私なら、やりたいことは
そのうち出来ると、アクションも起こさずに
思っているだけで、年を取って
終わることになっていたと思います。
時の流れに身を任せている
そんな生き方をしてきました。
でも、私は100歳まで
オートバイに乗っていたい、
世界中の地をバイクで走り回りたい、
スコットランドで、
おにぎりとお味噌汁を出すB&Bをやりたい、
そういう夢を持っていたのです。
シンプルパフォーマンスセラピーに出会い、
本当の自分に出会いやりたいことは
何歳になってもチャレンジしていい、
でも、思うだけじゃダメ、
考動しなくちゃ、と気づきました。
いつでもどこでも出来る
シンプルパフォーマンスセラピーで
セルフセラピーするようになったら、
良かれと思ってしたことが、
たとえ裏目に出てもいいじゃないか、
それは、私が良いやつだからなんだと
自己肯定できるようになりました。
そして新たな
わくわく人生がやってきました。
そのうち出来ると思って
実は何もしなかった自分を認めることができ
自分が自分を好きになったら、
これからまだいろんな
可能性があると思えるようになりました。
やっと長い間浸かっていた
ぬるま湯から出ることが出来たのです。
これからは、心のセラピストとして、
私のように、誰かのためにばかり
一生懸命になっているのに、誤解されて、
本当の心をわかってもらえず
自分に自己嫌悪している人が
自分を好きになれるように
あなたはあなたのままでいいと
伝えていきたいです。
ずっと自己犠牲の人生を
それがそうと気づかずに歩んできた人が、
自分の背中の重荷をおろして
やりたいことにチャレンジできるように
怖がらずにアクションを起こせるように
シンプルパフォーマンスセラピーで
勇気付ける活動をしていきます。